キャラック船とは

北欧式のコグ、いわゆる北方船と、ラティーンセイルで地中海を帆走していたいわゆる南方船、それぞれの長所をとりいれた船。その代表的な船がキャラックです。(キャラックという言葉は、アラビア語の「商船」という単語からきているようです。なお、いつ頃この型の船が確立したかは、キャラベル同様、定説がありません。)

外見はコグ船に似ているのですが、南方船のように外板は平張りになっています。(なお、コグは鎧張りです。)さらに、北方船のように中央のマストに横帆※を備えていますが、そのマストの後ろに南方船のようにラティーンセイルを備えたマストが備わっています。このキャラックのマストの本数は特に決まっている訳ではありませんが、時代が経つにつれ3本、4本、5本と急速に本数を増やし、帆の数も増やし、その性能を向上させていきます。

代表的なキャラック

キャラックは、14世紀から15世紀に行われた探検航海に多く用いられ、よく知られるところとしては、コロンブスの「サンタマリア」ヴァスコ・ダ・ガマがインド航海(1497年)に、旗艦として用いた「サンガブリエル」などをあげることができます。(ちなみに「サンタマリア」は、神戸のハーバーランドに復元船がありました。今はありません。)

最大級のキャラックとして有名なものは、1514年頃建造のイギリスの「アンリ・グラサデュー」(別名グレートハリー)や1535年頃建造のフランスの「ラ・グランド・フランソワーズ」などがあげられます。
なお、笑い話ではありませんが、「アンリ・グラサデュー」(別名グレートハリー)は、実戦では1発も大砲を撃ったことがないといわれています。そしてそのライバルのラ・グランド・フランソワーズは、大きすぎて港をでれなかったともいわれています。

大砲

この時代、大砲が実用化してきますが、それに伴い船首船尾に高くとりつけていた船楼を最初から船体と一体化して作るようになります。また、多くの大砲を積むため船体と一体化した船楼を二層三層と重ねているものもあります。「サンガブリエル」などは、その典型です。


※横帆とは、船体に垂直に取り付けられる帆のこと。横帆は、強い順風をうけて走る外洋に適しているとされます。他方、南方船の特長であるラティーンセイル(縦帆の代表例)は、ほぼ逆風でも帆走する事ができます。風向きがしょっちゅう変わる地中海などでは、古くからもちいられていました。ラティーンセイルは東洋からイスラムを通じて西洋に伝えられたともいわれていますが、定説がありません。ただ少なくとも10世紀には、すでに地中海で三角帆が用いられていたようです。

有名な船

サンタマリア–コロンブス

国王フェルナンド 2 世の軍がムーア人のヨーロッパにおける最後の拠点グラナダを陥落させたのは1492年ですが、クリストファー・コロンブスがヨーロッパにとって完全に未知の世界だった島にスペインの旗を立てたのも1492年です。まさにこの年は、スペインが大航海時代のリーダーの地位へ、ヨーロッパがかつて知らなかった豊かな帝国への道を歩みを始めた年ともいえるでしょう。
 この大きな2つのできごとのうち1つは、スペイン王室が勇気をもって率先したというものではなく、外国生まれの不遇の平民の、不屈の努力によるものだったといよるものだったということを我々は強く記憶するべきでしょう。こんにち、サンタマリアは世界一有名な帆船といわれています。
左はアマティ社の模型の写真です。

サンミゲル マモリキット

サオ・ミゲル(カラカ アトランティ)

サオ・ミゲルの名で知られる、キャラック船。カラカはキャラック、 アトランティ は大西洋(アトランティック・シー)を意味します。1519年、探検家エルナン・コルテスのアステカ制圧に参加。コンキスタドールとしてのコルテスの名と共に歴史に名を刻みました。このキットはスペイン、バルセロナの海軍博物館で、記録をもとに再構築したものをモデルにしています。

コンキスタドールとは15世紀から17世紀にかけて金銀を求めアメリカ大陸を探索し略奪したスペインの侵略者をさします。インカ帝国・アステカは彼らに滅ぼされた。