ヴァイキング

主に8世紀末から11世紀にかけて、ヨーロッパ各地に侵入した北ゲルマン人のことを一般には指すと思います。

このヴァイキングという言葉ですが、古ノルド語の「入り江」の意にあたる「VIK」という言葉に人の意の「ing」がついた「入り江の民」と説明されることが多いようです。しかし、『古代スカンジナビア人自身が自分たちを記述するのに誰もこの言葉を使ったことがなく、近隣の民族もまた同様だったと言われており、フランク族では彼らのことを単にノルマンニ(北方から来た男の意)と呼んでいる』ことから、入り江の民という説も決定的な定説とは言えないように思えます。

ヴァイキングに対して持つ我々のイメージは、海賊のようなイメージが強いのですが、実際は農耕の民であり、交易の民でもあったということが今では明らかになっています。従来の海賊ないし略奪者というイメージは、『キリスト教を信奉する側の人々からみた神の摂理をわきまえぬ異教徒』というイメージに端を発すると考えるのが自然ではないかと今では言われているようです。

もとは農耕に従事していた民族が、何故、ヨーロッパ各地に侵入し襲撃を繰り返すようになったのか。
温暖化による人口の増加と土地の不足などが指摘されることが多いのですが、これもまた決定的な要因とまでは信じられておらず、謎が多いとされています。

なお、一口にバイキングといっても、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンと、3つの地域にわけて考察されることが適当なようで、それぞれの地政の違いが、彼らの行動に影響を与えることがあったと言えるようです。

居住地でのヴァイキングの生活

様々な考古学的発見や彼らの文学、地名等から、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンがヴァイキングの時代に、主に農耕を営んでいたことは明らかになっています。

他方、彼らはビルカ、カウバン、ゴトランド、ヘゼビュといった交易のための都市を擁しており、これらの都市はこの地域での大交易センターの役割を担っていました。特にビルカは、近隣の墳墓で発掘される遺品などから、イギリス産からアラブ産の商品まで取り扱っていたようですし、イスラム銀貨なども大量に発掘されていることから非常に広い商圏を築いていたことが推測されています。(ビルカは世界遺産の一部として指定されています。)

ヴァイキングの洋上の活動

彼らの高度な造船術や操船に関する知識は、彼らの住む地形とは無関係ではないことは容易に推測ができます。スカンジナビアの島や岬が複雑に入り組んだ地形では、船は交通手段として非常に便利なものですし、島の多いデンマークでは、船は不可欠の乗り物であったと考えられるからです。

 彼らの船で特に注目すべき点は、キール(竜骨)があったことがあげられます。このキールという発明のおかげで、船を巨大化、平底化することができ、安定性と対航性を得、速力を増大させることができました。

 このような彼らの生活の中で培った技術は、ヴァイキングを中世初頭のヨーロッパで唯一、陸地から遥かに離れた洋上を航海できたる者たちとしました。

彼らの活動はジブラルタルを抜け、モロッコ、イタリア、聖地エルサレム、河川を遡行してロシアやカスピ海、黒海へと至っているように推測されていますし、873年にアイスランド、895年にグリーンランドに達し、985年には、ビアルニというヴァイキングが北アメリカに達していて、今では、彼らが北アメリカを発見した最初のヨーロッパ人とされています。

特徴

 彼らの船の特徴として、喫水線の浅い船であることもよくあげられます。彼らの船は容易に浅瀬や河川を航行することができ、あるときは陸上を運ぶことすらでき、その機動力が、略奪と逃亡に非常に有利に働いたことは容易に推測ができます。

歴史上、彼らは軍事においてヨーロッパの一部の地域を征服し、あるいは植民地化に成功しておきながら、最終的には彼らはその地域の文化や環境に同化しています。またビルカのような巨大な商業都市も僅かな短期間に消滅してしまっており、この点は、非常に興味深く、今後も様々な発見がなされていくことと思います。

ヴァイキングシップ

『ヴァイキング時代の詩や中世のサガには、様々なタイプの船に対する多岐にわたる呼称があり、大別すると軍船と商船に分類される』ようです。商船では積載力や対航性を速力より優先させて運用人員を削減しています。逆に軍船は風に関係なく速力がでるように作られ、また戦闘員として数多くの漕ぎ手を配置できるよう作られていました。

なお、ロングシップと呼ばれる主に戦闘に用いられる船と、クナール(クナル)と呼ばれる商用に用いられる船の分類・呼称は、一般的にはよく用いられます。また、ロングシップはドラゴンやドラッカーと呼ばれたりしています。(ドラッガーとは、ドラゴンの船という意味で、彼らは、ドラゴンに特殊な力があると信じており船首像として、好んで用いたため来襲された地域では、その呼称でよばれていたりしたようです。)

埋葬される船

なお、貴人が死んだときには、船を一緒に埋葬する習慣があるため、出土される船は多く、有名なものだけでも次のようなものがすぐにあがります。オルセベリの船などと発見された地名で呼ばれることが多いです。また発見された船は1隻とは限りません。

ノルウェー

  • ゴクスタ(ゴクスタッド) 
  • オルセベリ(オーセベリ)
  • トゥーネ

以上3つの場所で発見された船は、共に貴人の死に際し、埋葬されたもののようです。オスロのヴァイキング博物館にて収蔵・展示されています。このうちゴクスタとオルセベリは我々が抱くバイキングシップのイメージにぴったりあてはまるような船です。特にオルセベリの船の装飾性は素晴らしい芸術作品を見るようです。

デンマーク

  • ラズビュー
  • スカルデレフ(スクルデレフ)

上記2つの地域で発見された船はデンマークのロスキレのヴァイキング船博物館に展示されています。

(参考文献) 以上は以下の書籍によりまなばせていただきました。

「ヴァイキング 海の王とその神話」イヴ・コア / 創元社

「航海の歴史」ブライアン・レイヴァリ / 創元社

「図説:ヴィキングの歴史」/原書房

「図説:ヴィキングの歴史」は、非常に詳細にわかりやすく書かれており、特にお勧めです。

上記文中において『』で括った箇所は、この本からの、ほぼ、そのままの引用ですし、この本から学ばせていただいて、自分なりにまとめさせていただいたものです。

以下は上記とは関係がありません。模型でのヴァイキングシップの紹介です

ヴァイキングシップ アマティ社キット

ロングシップ

ロングシップは、ドラッカーとも呼ばれます。詳細な記述と名前を残したロングシップに、時のノルウェー王オーラヴ・トリグヴァソンの長蛇号があります。その長大さと、高い側面を武器に戦い、1000年、スヴォルドの海戦で王の最後を看取ったとされます。『ヘイムスクリングラ』の『オーラヴ・トリュッグヴァソン王のサガ』に描かれたその姿はのちの文学に影響を与え、ロングシップの存在を後世に知らしめました。 鎧張りに竜頭を持ったアマティ社の左写真の模型はその当時のロングシップの姿を再現しています。

クナル デュセック社キット

スクルデレフ1

クナルという船種に該当します。ヴィキング達の用いた船を大別すると、戦闘用のロングシップと交易用のクナルにわけることができます。 デュセック社が製造しているこの模型のクナルは、デンマーク・ロスキルデのヴィキング船博物館 のクナルとして有名なSkuldelev1 (スクルデレフ1・船種クナル)を模型化したものです。 スクルデレフは発掘された地名です。

参考文献

ゴクスタッド デュセック社キット

ゴクスタッド(ロングシップ)

1880年にゴクスタッド農場から発掘されたことから、この船にはこの名前がついています。この船はロングシップの代表例の一つとして有名でノルウェー・オスローのヴィキング船博物館に保管されてます。