ソッピースキャメルについて
原型機は1916年12月初飛行、生産型の実戦投入は1917年6月でした。
全重量物をプロペラと主翼中心線の間に集中する設計のため操縦性が敏感で低空での操縦は難しいものでしたが、上空での運動性は非常に優れていました。戦争後期に登場したにもかかわらず、1,294機を撃墜しており、連合軍側の戦闘機では機種別撃墜記録第一位を誇っています。驚くべきことに、総生産数5,497機のうちソッピース社によるものは503機のみで全体の10%にも足りず、残りの機体は、ライセンス契約による他社生産のものでした。
第1次世界大戦の撃墜王はドイツ陸軍大尉マンフレート・フォン・リヒトホーヘン男爵(80機撃墜)です。乗機フォッカーDr.1を深紅に塗装させたことからレッドバロン(赤い男爵)と呼ばれ、映画「紅の豚」のモデルともいわれていますが、この撃墜王の命を奪ったのはカナダ軍のブラウン大尉のソッピースキャメルだったとされています。
制作動画
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